めいそうの森4

一度迷走するとなかなか元に戻れないものです。元に戻ろうと車を走らせ、下り坂になりかけた時山の中腹になかなか見事なお寺の屋根が目に入りました。迷走ついでとそのお寺に立ち寄ってみました。山すその高台にあるそのお寺は大きくも高くも無くごく当たり前のつくりながら何故か圧倒する威厳がありました。
山門からの階段を折り曲げ斜路と組み合わせることで横入りとし、境内を横から見せることで山の中腹の敷地の宿命である奥行きの無さを感じさせない手法をとり、向こう正面に鐘楼を据えることで奥深さを演出していて思わず唸ってしまいました。
敷地の奥行きを確保する盛り土の土留めに積んだ石垣のうえに屋根瓦を載せた塀を回し、所々に小窓を穿つだけで意図的に眼下の景色は遮断し、庭木と置石で境内を一つの異空間とし、参内する時からその石垣と塀を見上げさせかつ要所に植えた樹木とで参道の演出をしており、漆喰塀の足元は砂利敷きとし、雨だれの跳ね返りで汚れがつきにくい基本的措置もしております。
建築を生業とするものにはごく基本的処置と言われるものをまっとうに施していて、それが実に見事で独創的な空間を実現していてまさに建築手法の宝庫なのです。
残念ながら建物の中には入れていただけませんでした。お寺の案内書をみたら、寛正元年(1461年)に建立された臨済宗妙心寺派、大仙寺と云うお寺で、かの宮本武蔵が巌流島の後時々身を寄せていたこともある歴史あるお寺とのことでした。どうりで基本的手法や措置が見事に空間に反映され、基本だけでもこれだけ独創的で見事な空間を作れるのだと改めて感心させられました。
迷走もそのことの引き受け次第では人知の超えたものを披瀝してくれ、捨てたものではありません。(藤原)